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自らの身は自分で守る。
2013/09/03
昨日は、気仙沼で久しぶりに大きな結婚式に出席をさせていただきました。
昨年は石巻にて、今まで経験したことのない素晴らしい結婚式に出席をさせていただきました。
いずれも2011年3月11日の震災における被災地にあるホテルで行われた披露宴。
そして被災者でもあります。
それぞれ感動を覚え、本当に出席させていただいた身として光栄であった。
まだまだ式場周辺も決して復旧しているとは言い難く、震災の跡が生々しく窺える。
石巻も気仙沼も地盤沈下がひどく、これから秋にかけて大潮が続くので、訪問の際は長靴を持参してほしいという。
石巻では「水産復興特区」が始まり、民間資本とサラリーマン漁師が漁村を復興させる。
高齢化が進む日本漁業の再生モデルになるのか期待度は高いようだ。
しかしながら、福島第二原発の汚染水の問題は大きい。
更には、防災壁の設置の問題。
最大高さ10メートルの壁は、当然景観を損なう。
地元住民の葛藤は続いている。
そんなこともありながら、地元における青年会議所や自治会などは、いち早く地域コミュニティーを復活させ、ボランティアや支援者のサポートを得たりしながら将来に向かい取組んでいる。
「私達は大災害を受け、本当に辛い思いをしたが、何時までも落ち込んではいられない。皆で協力し助け合い、こんなに元気に前向きに生きているんだ。」正にそういう気持ちが表現された披露宴であった。
押して押して4時間の披露宴であったが、明るい気持ちで元気をいただき、帰路につきました。
帰路は新幹線に間に合わないなど、大変でしたが。(笑)
帰りのバスでのお話(仙台駅までの送迎バス)
気仙沼で開業しているバス会社
社長自ら運転していただいたが、同乗者の質問に対し、震災時の話を伺うことが出来た。
因みに社長は震災時は事務所にいた。
奥様の早く逃げてとの電話で、普段は乗用車は置いていないが、たまたまお客様が駐車していた軽自動車に飛び乗り逃げ延びたそうです。
会社のバスは全て津波にのまれた。
震災後1ヵ月で資金繰りをし、3台購入した。
儲けるとかではなく、学校の送迎など請け負っている仕事があり、義務感からまだ国の支援前の高金利時であったにも拘らず、銀行より借り入れを起こし購入したそうだ。
そんな気持ちを持った社長の話である。
震災は、悲惨な状況であったことはある程度理解はしていたつもりであるのだが・・・
間一髪で津波から逃れ、そして第一波の津波を受けた後、助けを求める声が聞こえてもどこにいるか解らない
更に、助けに行った方々の多くが第二派の津波にのみ込まれ目の前で犠牲になった。
壮絶な体験談である。
逃げ延びた後は、絶望感とも何とも言えない思いであったそうだ。
11日の大震災前、9日に大きな地震があった。
その際、5Mの津波警報が出たが実際は50CMであった。
その為、11日には揺れは大きいと感じたが、心に油断が出来、犠牲者が増えたという。
そして非難した場所では、3日間何も口にすることが出来なかった。
3日目に初めて口にした食べ物は、本当に小さい石巻の炊き出しから届けられたおにぎりであったそうだ。
その小さなおにぎりを食べた時、乾ききった口は、つばも出ないので飲み込むのが大変であったという。
私などには想像もつかない。
避難していた間、人間の本性を見たそうだ。
悲惨な光景に、想像もできない。
さて、おめでたい話の後にこのような話を書かせていただいたが、兎に角被災地では皆が復興のために前向きに生きている。
そして、支援に感謝し恩返しをしたいとも考えている。
その様な力を感じたと同時に、震災の悲惨な体験を忘れてはいけないという思いから書かせていただきました。
最後にバス会社の社長より
震災の際「自らの身は自分で守る。このことを優先してください!」
・・・この言葉の意味は深い。
「花卉業界」
厳しい状況は続く。
人口は減少傾向であり、高景気はもう来ないと思うべき。
売れないとただ嘆くのではなく、売る努力をしなければ生き残れない!!
フェイクはもっと増える。
拒絶するのではなく取り入れ生花とうまくシェアさせる。
業界が一丸となって取り組むことには間接的でも良いのでやってみるべき。
どうしても賛同できなければ、独自で行動も良いでしょう。
販売努力を何もしなかったり出来なければ難しい。
例外は勿論あるが、努力している方だけが生き残っていく世の中です。
この事を弊社は肝に銘じ、従業員と取組んでいきたい。